
ソング中小企業診断士事務所代表、中小企業診断士の井村淳也です。
私は「迎える経営論」を語っていますが、もともと“迎えられる側の人間”ではありませんでした。
むしろ逆でした。どこに行っても居心地が悪く、期待されていないように感じ、
会社員時代は働くことそのものが苦しくて仕方がありませんでした。

今になって振り返れば、あの頃の職場も、上司も、同僚も、
きっと私を迎えようと手を伸ばしてくれていたのかもしれないと、今なら思えます。
けれど私は、それを受け取る余裕がなかった。
伝えようとしてくれた迎えも、私には「届かなかった」のです。
だから私は知っています。
迎えるとは“送り手の行為”ではなく、“受け手に届いて初めて成立する行為”だということを。
その後、音楽ビジネスで独立し、初めて“迎えられる喜び”を知りました。
そしていま、診断士として“迎える側を支援する立場”になりました。
迎えられなかった過去と、迎えられた経験、その両方を持つ私だからこそ、
この「迎える経営論」を語れるのだと、ようやく腑に落ちています。
全24回の連載を読む前に──
まずは私自身の物語をお伝えしたいと思います。
迎えるとは何か。その核心は、ここにあります。
迎えられなかった過去――「居場所のない働き方」から始まった物語
迎えられる感覚を知らなかった日々
私は、働き始めてから長い間、「迎えられる」という感覚をほとんど知りませんでした。
努力しても報われない、意欲はあるのに噛み合わない、周囲に馴染もうとしても空回りする──
そんな日々が続き、会社の中で“自分の居場所”を見つけられずにいました。
期待と受け取りのズレ
今思えば、会社も、上司も、同僚も、きっと私に期待してくれていたのかもしれません。
それならば、私を育てようとし、任せようとし、必要な情報を渡そうとしていたはずです。
でも私は、それを「迎えられている」と受け取ることができませんでした。
その背景には、過去の経験や自己肯定感の低さ、周囲とのコミュニケーションの癖など、様々な要因が複雑に絡んでいたのでしょう。
負のスパイラルの体験
人は、迎えられようとしても「受け取る余裕」がなければ、迎えられた事実に気づけない。
その結果、周囲の善意も期待も「自分は歓迎されていない」という誤解に変わり、さらに自信を失い、孤立が深まっていく。
私は、この負のスパイラルを身をもって体験しました。
迎える行為の本質
だからこそ思います。
迎えるという行為は、「渡す側が正しく整える」だけでは不十分だと。
どれほど制度を整えても、どれほど優しく声をかけても、受け手に届かなければ、それは“迎え”として成立しない。
痛みの記憶が思想へ
この痛みの記憶が、後に「迎える経営論」の思想そのものに繋がっていきます。
迎えられなかったあの頃の自分が、今の私にこう語りかけているようです。
──あのとき感じた孤独と違和感を、誰にも味わわせないでほしい。
物語の始まり
そうして私の物語は始まりました。
迎えられた瞬間――“過去を語ったら依頼が来た”という初めての経験
過去を正直に書いたプロフィール
独立して音楽ビジネスを始めたとき、私は覚悟を決めて、
自分の過去をプロフィールに正直に書きました。
- 学生時代に受けたいじめ、不登校、引きこもり
- 会社員になってからも組織に馴染めず、居場所が見つけられなかったこと
そうした“迎えられなかった人生”そのものを、そのまま言葉にしたのです。
弱さを晒すことへの恐怖
正直に言えば、怖かった。
そんな弱さを書いたら、誰も依頼してくれないかもしれない。
そう思いながらも、「これが自分だ」と腹を括って公開しました。
依頼につながった共感の言葉
ところが──そのプロフィールを読んだお客様が、こんな言葉をくれました。
「あなたの過去に共感しました。だから依頼しました。」
「あなたの文章を読んで、“この人にお願いしたい”と思いました。」
初めて、その言葉を聞いたときの衝撃は今でも覚えています。
私は、自分の弱さを晒したつもりだった。
でも、相手にとっては“勇気ある告白”として届いていたのです。
迎えられない過去が持つ力
そして、もう一つ強烈に実感したことがあります。
迎えられない過去にこそ、誰かを迎える力が眠っているということです。
弱さを隠して強く見せても、誰の心にも刺さらない。
けれど、自分の痛みをそのまま言葉にしたとき、人は寄ってきてくれる。
その人の気持ちにふれることができる。
“深い迎え”としての依頼
音楽ビジネスで初めて“迎えられた”感覚は、単なる依頼ではなく、
「あなたの物語を受け取ったうえで、あなたにお願いしたい」
という“深い迎え”でした。
迎えられることの意味
この経験によって、私は初めて気づきました。
- 迎えられるとは、自分の物語を受け止めてもらうこと
- 迎えられるとは、弱さが受容されること
- 迎えられるとは、「あなたでいい」と言ってもらえること
過去と現在のギャップから生まれる変化
迎えられなかった過去。
迎えられた現在。
そして、そのギャップから生まれる“人が変わる瞬間”。
すべてがここで一本の線につながり始めました。
迎える側への転換――診断士として“迎える力”を支援する立場へ
音楽ビジネスで知った「迎えられる喜び」
音楽ビジネスでは「迎えられる」喜びを知りました。
しかし、その喜びが大きければ大きいほど、ある疑問が私の中に生まれていきました。
──なぜ、あの頃の私は迎えられていることに気づけなかったのか?
会社員時代の誤解
会社員時代、組織も上司も、きっと私を迎えようとしていたはずです。
任せようとし、育てようとし、声をかけてくれていたはず。
しかし、当時の私はその手を“手”として認識できず、むしろ「期待されていない」と受け取っていました。
迎える経営論の核心
ここに、迎える経営論の核心があります。
迎えるとは、「渡す側の努力」だけでは成立しない。
受け手の状態に届いてはじめて、迎えたことになる。
私は、この“伝わらなさ”の残酷さを身をもって知りました。
そして同時に、音楽ビジネスで感じた“伝わった瞬間の力強さ”も知ったのです。
二つの体験から生まれた問い
迎えられない苦しみと、迎えられた喜び。
その両方を経験したからこそ、
「迎える」ことが人の人生と組織をどう変えるのかを、誰よりも深く理解できる。
この二つの対照的な体験は、私の中でひとつの問いに収束していきます。
──どうすれば、迎えようとした思いが“確実に相手に届く組織”を作れるのか?
診断士としての転換
この問いに対する答えを体系化したいと思ったとき、それが中小企業診断士という道につながりました。
診断士になってから、私は“迎える側”を支援する立場になりました。
企業の採用、オンボーディング、育成、定着、コミュニケーション。
あらゆる場面で「迎えられなかった自分」と「迎えられた自分」の両方を思い出しながら、
組織の迎える力をどう設計するかを考え続けています。
迎える経営論の誕生
こうして生まれたのが、
全8編×3視点で構成された「迎える経営論」です。
- 迎えられなかった過去
- 迎えられた経験
- 迎える側を支援する今
この3つのフェーズが揃ったとき、ようやく私は「迎える」を語るための“資格”を得たのだと思います。
迎えるとは何か
迎えるとは、制度でもなく、マニュアルでもなく、
「人の物語を受け止め、届ける技術」のこと。
迎えられなかった私だからこそ、
迎えられた経験がある私だからこそ、
そして今、迎える側を支援する立場にいる私だからこそ、
この理論を届ける意味があります。
まとめ|迎えるとは、物語を受け止めること
迎えられない側だった過去
私は長い間、「迎えられない側の人間」でした。
居場所が見つからず、期待されていないと感じ、働くことそのものが苦しかった。
迎えられた瞬間の変化
しかし、自分の弱さをさらけ出し、音楽ビジネスで初めて“迎えられた”とき、
人は迎えられた瞬間に変わるのだと知りました。
前を向ける。挑戦できる。力を発揮できる。
迎えられるとは、それほどまでに人生を動かす力を持っています。
診断士として迎える側へ
そしていま、私は診断士として“迎える側を支援する立場”になりました。
その中で気づいたのは、迎えることは単なる制度や手順ではなく、
「相手の物語を受け止め、それに応じて届け方を変える技術」だということです。
迎えることの難しさと尊さ
会社員時代の私は、迎えようとしてくれた手を受け取れなかった。
音楽ビジネスでは、弱さを書いた言葉が誰かの心に届き、迎えられた。
その両方を経験したからこそ、迎えることの難しさと尊さを深く知っています。
迎えるとは“届け方”の設計
迎えるとは、相手がどう受け取るかまでを含めて設計する“届け方”の話。
迎えられなかった過去と、迎えられた現在。
その両方が、迎える経営論という理論の源泉になっています。
願いから生まれた「迎える経営論」
──誰もが迎えられる組織をつくりたい。
──あのときの自分のように、孤独に迷う人を生みたくない。
その願いから生まれたのが、この「迎える経営論」です。
あなたの組織にとっての“迎える”とは何か。
その問いの答えを、これからの連載で一緒に探っていければと思います。
あの頃の自分へ
最後に。
この連載は、”傷つき、生きることに疲れ果てていたあの頃の自分”に語りかけるつもりで書いています。
お前は、何も悪くない。ただ——迎えられなかった。それだけなんだ。
もしあなたの中にも、過去の自分を責め続けてきた気持ちがあるのなら。
この連載が、その痛みを少しでも和らげる手助けになれば。
それが、書き手としての何よりの喜びです。
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