
多くの企業が口にします。
「最近の若手は指示待ちだ」「失敗を怖がって、なかなか挑戦しない」と。
確かに、現場を見渡すと、
言われたことはきちんとこなす一方で、
自分から動こうとしない若手の姿が目につくかもしれません。
その様子を見て、「意欲が足りない」「もっと主体性を持ってほしい」と感じる経営者や上司も少なくありません。
しかし、本当にそうでしょうか。
若手が育たない原因は、本人の能力や意欲にあるのでしょうか。
迎える経営論の視点から見ると、
その問いの立て方自体が、少しずれているように見えてきます。
若手が挑戦しないのは、
失敗を恐れているからではありません。
多くの場合、「挑戦しても大丈夫だと迎えられていない」だけなのです。
- 試していい範囲はどこまでか。
- 失敗したとき、評価はどうなるのか。
- 困ったとき、誰に相談してよいのか。
そうした前提が曖昧なままでは、
どれほど意欲のある人であっても、一歩を踏み出すことはできません。
これは能力の問題ではなく、
安心して試せるように設計されていない環境の問題です。
人は、意欲があるから挑戦するのではありません。
挑戦を迎えられていると感じたときに、はじめて動き出します。
①の事例で見たように、
人は能力が足りないから辞めるのではありませんでした。

そして本事例が示すのは、
人は意欲が足りないから育たないのではない、という事実です。
若手が育たない組織では、
若手本人よりも先に、
「挑戦を迎える設計」が欠けているのです。
■ 導入企業概要と当時の悩み|“育成しているつもり”の落とし穴
B社は、部品製造を主力とする従業員60名規模の製造業です。
現場には若手から中堅、ベテランまでが在籍し、年齢構成としては決して偏りのない組織でした。
表向きには教育制度も整っており、OJTや定期的な面談など、
「育成に取り組んでいる会社」として一定の評価も得ていました。
しかし、現場から聞こえてくる声は、どこか噛み合っていませんでした。
- 「若手が自分で考えない」
- 「指示を出さないと動かない」
- 「言われたことはやるが、その先がない」
仕事そのものは回っているものの、若手の成長実感は乏しく、
数年以内に辞めていくケースも散発的に発生していました。
採用が極端に難しいわけではない。
それでも、「育っている実感がない」という感覚だけが、
現場と管理職の間に残り続けていたのです。
「最近の若手は失敗を怖がる」という認識
経営者や現場リーダーの多くは、この状況を次のように捉えていました。
- 「最近の若手は、失敗を怖がって挑戦しない」
- 「もっと主体性を持って動いてほしい」
決して突き放しているわけではありません。
むしろ、「伸びてほしい」「もっと任せたい」という思いが先にありました。
しかし、その期待は、若手にとっては重荷として伝わっていた側面もあります。
ヒアリングを重ねる中で見えてきたのは、
若手本人たちが「挑戦しない理由」を、言語化できないまま抱えているという事実でした。
見えていなかった“育たない構造”
B社では、明確な「失敗禁止ルール」があったわけではありません。
しかし現場には、
- 失敗すると評価が下がるのではないか
- 余計なことをして怒られるのではないか
という、はっきり言葉にはされない“空気”が存在していました。
挑戦してよいのか、
どこまでなら試してよいのか、
判断を誤った場合、どう扱われるのか。
そうした基準が誰にも共有されていない状態では、
若手が慎重になるのは当然です。
さらに、形式上は1on1面談も実施されていましたが、
その多くは進捗確認や反省点の整理に終始し、
「どう試したか」「なぜそう判断したか」を安心して話せる場にはなっていませんでした。
結果として1on1は、挑戦を後押しする場ではなく、
“正解を探すための場”として機能してしまっていたのです。
こうしてB社では、
若手が育たないのではなく、
若手が試すことのできない状態が、知らず知らずのうちに作られていました。
育成に力を入れている「つもり」だったからこそ、
この構造は長く見過ごされてきたと言えるでしょう。
■ 課題の再定義|迎える経営論から見た「成長が止まる理由」
若手が育たない原因は、教え方ではありません。
迎える経営論の視点から見ると、その本質はもっと別のところにあります。
若手が育たないのは、
挑戦と失敗を迎える構造が存在していないからです。
多くの組織では、「育成」という言葉が
- 「正しいやり方を教えること」
- 「早く正解にたどり着かせること」
とほぼ同義で使われています。
しかし、本来の成長とは、
正解を早く出せるようになることではありません。
試し、間違え、修正する回数を重ねられることによってしか、人は育ちません。
B社では、その試行錯誤の回数が、知らず知らずのうちに奪われていました。
失敗してはいけないとは言われていない。
けれど、失敗したときにどう扱われるのかが見えない。
評価が下がるのか、責められるのか、次は任せてもらえるのか──
その基準が共有されていない状態では、若手は慎重になるしかありません。
そしてこれは、若手だけの問題ではありません。
上司自身もまた、
- 「どこまで失敗を許容していいのか」
- 「どこから先は止めるべきなのか」
という設計を持たないまま、部下と向き合っていました。
迎える経営論では、
「迎える」とは、完成された成果を迎えることではなく、
未完成な挑戦や途中経過を迎えることだと定義します。
この前提に立ち、B社ではまず「成長が止まる理由」を構造として捉え直し、
そのうえで迎え方そのものを設計し直すことから始めました。
■ 施策①|挑戦を迎える1on1の再設計
B社にも、もともと1on1面談の仕組みはありました。
しかし実態は、進捗確認や反省点の整理が中心で、
知らず知らずのうちに「正解を探す場」になっていました。
そこで行ったのが、1on1の目的そのものの再定義です。
新たに設計した1on1では、
話す順番を意図的に入れ替えました。
結果や達成度ではなく、「試したこと」から話を始めるのです。
たとえば、次のような問いを軸にしました。
- 「今月、うまくいかなかった挑戦はありましたか?」
- 「今振り返っても、次も同じ判断をしますか?」
- 「次に試すとしたら、どこを変えますか?」
ここで重要なのは、
良い答えを引き出すことではありません。
また、情報を集めることでもありません。
1on1の目的はただ一つ、
「挑戦しても大丈夫だ」という状態を、言葉と構造で届けることです。
失敗しても話していい。
うまくいかなかった判断も、共有していい。
その前提が明確になることで、
若手は初めて安心して試行錯誤できるようになります。
■ 施策②|失敗を迎える“共有の場”の設計
個別の1on1と並行して、
B社では「失敗を迎えるための共有の場」も設計しました。
導入したのは、短時間・定例の失敗共有ミーティングです。
この場では、成功談は禁止。
共有してよいのは、挑戦したこと、うまくいかなかった判断、その学びだけです。
さらに、いくつかのルールを明確にしました。
- 語るのは「人」ではなく「判断」
- 誰も責めない
- その場で正解を出そうとしない
- 上司が最初に、自分の失敗や迷いを共有する
この設計によって、失敗は
「減点要素」ではなく、
組織全体で共有すべき学習資源へと位置づけが変わりました。
失敗が語られ始めたとき、
現場の空気は静かに変わっていきます。
挑戦が特別な行為ではなく、
仕事の一部として扱われるようになるのです。
B社の事例が示しているのは、
人を変えなくても、
迎える構造を変えれば、成長の流れは取り戻せるという事実でした。
◆ 効果|“挑戦数”が可視化され始めた
施策を導入してから数か月後、B社では少しずつ、しかし確かな変化が現れ始めました。
それは「雰囲気が良くなった」といった曖昧な話ではなく、
行動の変化として確認できるものでした。
まず、定量的な変化です。
若手社員が自ら試した改善や判断の回数、いわば“挑戦数”が、
前年と比べて2.3倍に増加しました。
現場での小さな工夫、業務手順の見直し提案、試験的なやり方の導入など、
これまで表に出てこなかった試行が、明確に見える形で蓄積され始めたのです。
改善提案や試行件数の増加は、
単にアイデアが増えたという意味ではありません。
「試してみてもよい」という前提が、現場に共有され始めたことを示しています。
同時に、数字だけでは測れない質的な変化も確認できました。
若手の発言量が明らかに増え、
会議や打ち合わせの場で
「こうしてみたい」「一度試してもいいでしょうか」といった声が、
自然に出るようになりました。
これに伴い、上司側の関わり方も変わっていきます。
「全部を指示する」のではなく、
「まずやってみて、結果を一緒に振り返る」
という任せ方へと、少しずつシフトしていったのです。
さらに象徴的だったのは、失敗後の報告のスピードでした。
以前であれば、失敗はできるだけ隠されがちでしたが、
施策導入後は、うまくいかなかった判断ほど早く共有されるようになりました。
これは、若手の意識が急に変わったからではありません。
失敗を迎え、判断を迎え、挑戦を迎える構造が整ったことで、
行動が自然に変わった結果です。
B社の変化は、
育成施策を追加したから起きたものではありません。
迎え方を変えただけで、挑戦が数字として見えるようになった。
それこそが、この事例が示す最も重要な成果と言えるでしょう。
■ 支援の設計思想|井村は何を設計し、何をしなかったか
本事例において、私が担った役割は、
若手を直接育てることでも、
上司のマネジメントスキルを矯正することでもありませんでした。
意識したのは一貫して、
成長を“精神論”ではなく“構造”として扱うことです。
● 井村が行ったこと──成長を迎えられる設計
まず行ったのは、
「主体性を持て」「もっと挑戦しろ」といった抽象的な言葉を、
現場で再現可能な構造に翻訳することでした。
具体的には、
- 挑戦とは何を指すのか
- どこまで試してよいのか
- 失敗したとき、どう扱われるのか
といった曖昧な前提を一つひとつ分解し、
行動単位で共有できる形に整理しました。
また、若手だけでなく、
迎える側である上司自身が迷わず動ける設計を重視しました。
「どこまで任せていいのか分からない」
「失敗させていいのか判断に迷う」
そうした上司の不安もまた、挑戦を止める要因だからです。
迎える経営論では、
育成とは「教えること」ではなく、
迎える側が安心して任せられる状態をつくることだと考えます。
その前提に立ち、
上司が“迎える側”に回れる構造を設計しました。
● あえて行わなかったこと──育成を「管理」にしなかった理由
一方で、本支援では意図的に行わなかったこともあります。
- 若手社員への直接的な指導や説教
- 上司に対するマネジメント論の押し付け
- 評価制度や数値目標の強制的な変更
これらを行わなかった理由は明確です。
育成を管理してしまうと、挑戦は一時的に増えても、長続きしないからです。
外部から「こうしなさい」と指示すれば、
一時的に行動は変わるかもしれません。
しかしそれは、迎えられて動いている状態ではなく、
管理されて動いている状態にすぎません。
私は、若手の行動をコントロールすることよりも、
現場が自分たちの判断で挑戦を迎えられる状態をつくることを優先しました。
育成を管理しなかったからこそ、
上司は「やらされ感」なく任せることができ、
若手は「試しても大丈夫だ」という感覚を持てるようになったのです。
迎える経営論における支援の本質は、
人を動かすことではありません。
人が動き出せる構造を、先に整えることにあります。
B社の事例は、
その設計が正しく機能すれば、
過度な管理や統制を行わなくても、
成長の流れは自然に生まれることを示しています。
■ なぜ改善したのか(迎える視点からの分析)
B社で起きた変化は、
若手の意識改革によって生まれたものではありません。
「主体性を持てと言ったから」
「意識が高い人を採ったから」
そうした説明では、この変化は説明できません。
迎える経営論の視点から見たとき、
改善の核心はただ一つです。
若手の意識が変わったのではなく、
迎えられる前提条件そのものが変わったのです。
■ 失敗への恐れが、構造として解消された
施策導入前のB社では、
失敗が明確に禁止されていたわけではありませんでした。
しかし現場には、
- 「失敗すると評価が下がるのではないか」
- 「余計なことをして目をつけられるのではないか」
という、言葉にならない恐れが存在していました。
この恐れは、
若手の性格によるものではありません。
迎えられ方が見えない状態が生み出していたものです。
挑戦を迎える1on1と、
失敗を迎える共有の場が設計されたことで、
失敗は「即評価低下につながる出来事」ではなくなりました。
判断や試行は、
振り返りと学習の対象として扱われるようになったのです。
■ 「試していい範囲」が可視化された
もう一つの大きな変化は、
試してよい範囲が、構造として見えるようになったことでした。
- どこまで任されているのか。
- どこから先は相談すべきなのか。
- 失敗した場合、どう扱われるのか。
これらが曖昧なままでは、
若手が慎重になるのは当然です。
迎える設計によってその前提が共有されたことで、
若手は「迷わず試せる領域」を持つことができました。
これは、自由度が増えたというよりも、
安心して動ける枠が与えられたと言ったほうが正確でしょう。
■ 若手の内面で起きた“物語の変化”
構造が変わると、
人の内面の物語も変わります。
施策導入前、若手の多くは、
- 「失敗しないこと」
- 「目立たないこと」
を無意識の目標にしていました。
しかし迎え方が変わったことで、
その物語は少しずつ書き換えられていきます。
- 「失敗しても、まず話せばいい」
- 「判断を共有すれば、一緒に考えてもらえる」
- 「試したこと自体が、評価される」
こうした感覚が積み重なることで、
挑戦は特別な行為ではなく、
日常の仕事の一部として位置づけられるようになりました。
B社の改善は、
若手の意識を変えようとした結果ではありません。
迎える前提条件を整えた結果、
意識が変わらざるを得ない環境が生まれたのです。
迎える経営論が示しているのは、
人を変えることよりも先に、
人が変わる“土台”を設計することの重要性だと言えるでしょう。
◆ まとめ|人は育つのではない、“育てられる環境”が整う
B社の事例が示しているのは、
人が育つかどうかは、個人の資質や覚悟の問題ではないという事実です。
人は、勇気があるから挑戦するのではありません。
挑戦を迎えられていると感じたときに、はじめて一歩を踏み出します。
B社では、若手に「もっと主体性を持て」と求める前に、
挑戦しても大丈夫だと受け取れる環境を整えました。
失敗を迎え、判断を迎え、試行錯誤を迎える構造を用意しただけです。
その結果、
挑戦は特別な行為ではなく、
日常の仕事の中に自然に組み込まれていきました。
育成を管理しなくても、
人は育ち始めることを、この事例は静かに示しています。
②のテーマは「成長」です。
辞めないことでも、続けさせることでもありません。
試し、学び、次につなげられる状態をつくることこそが、成長の本質でした。
そして次の事例③では、
その成長が個人の中にとどまらず、
組織全体の判断や文化としてどう定着していくのかを扱います。
人を迎える。
挑戦を迎える。
そして、判断を迎える。
迎える経営論は、
ここからさらに、組織の中核へと進んでいきます。
◆ この事例から学べること
B社の事例から得られる示唆は、決して特別なものではありません。
むしろ、多くの組織が見落としがちな、基本的で本質的なポイントです。
育成制度よりも、迎え方の設計が先であること
研修や評価制度を整えても、
挑戦が迎えられていなければ、人は動きません。
まず必要なのは、
「試しても大丈夫だ」と受け取れる迎え方を、構造として用意することです。
1on1は、問いの設計で9割が決まること
進捗確認や反省の場では、成長は生まれません。
何を聞くか、どの順番で聞くかによって、1on1は
正解探しの場にも、挑戦を迎える場にもなります。
失敗を迎えない組織では、成功も育たないこと
失敗を避ける文化の中では、挑戦は生まれません。
失敗を学習として迎えられる組織だけが、
結果として、再現性のある成功を積み重ねていくことができます。
迎える経営論は、
人を変える方法論ではなく、
人が変わっていく前提条件を整えるための実務フレームだと言えるでしょう。
◆ 今後に生かすために
B社の事例は、製造業に限った話ではありません。
若手が育たない、挑戦しない、指示待ちに見える──
そう感じている組織であれば、業種や規模を問わず、同じ構造が潜んでいます。
今後に生かすためのポイントは、決して多くありません。
挑戦ラインを明示すること
どこまで試してよいのか、どこから相談すべきなのか。
その境界を言葉と設計で共有するだけで、若手の動きは大きく変わります。
迎える1on1を設計すること
結果を詰める場ではなく、試したことを迎える場として1on1を使う。
問いの順番と意図を変えるだけで、対話の質は別物になります。
失敗を共有できる場を用意すること
失敗を個人の責任で終わらせず、学習資源として扱う。
その設計があるかどうかで、
挑戦が一過性で終わるか、文化になるかが決まります。
これらはいずれも、
大きな投資や制度改革を必要としません。
迎え方を少し整えるだけで、組織の動き方は変わります。
◆ 総括
人は、育たないのではありません。
挑戦を迎えられていないだけなのです。
迎える経営論は、
人に「頑張らせる」ための理論ではなく、
人が自然に動き出せる環境を設計するための実務論です。
B社の事例は、
そのことを静かに、しかし確かに示しています。
