中小企業診断士としての日常のひとコマから、経営者としての“感情”や“判断”に潜むクセを考えるこのシリーズ。今回は、ちょっとした買い物で「エコバッグを忘れた自分」にがっかりした出来事を通して、「準備」と「自己責任」の意味合いを見直してみます。毎日の“うっかり”は、経営判断の質にも通じる鏡かもしれません。
レジ袋3円の重さ
ちょっとした買い物のつもりでコンビニに立ち寄ったある日のこと。
レジで支払いを済ませた後に「袋はご入用ですか?」と聞かれて、僕ははっとしました。
「……あ、忘れた」
そう。いつも持ち歩いているはずのエコバッグを、今日は持っていなかったのです。
しかたなく「お願いします」と伝え、3円を支払ってレジ袋を受け取りました。
たかが3円。されど3円。
その金額よりも、「準備していなかった自分」に対するがっかり感のほうが、重たくのしかかってきました。
「準備不足」は人のせいにできない
このとき、僕は誰のことも責められません。
- 当然、店員さんが意地悪だったわけではない
- 袋が有料になったのは知っていた
- いつもはちゃんと持っている
にもかかわらず、今日だけ「なんとなくうっかり」していた。
その結果、「不要な支出」と「自分への不満」が生まれたのです。
こういうこと、しばしば日常ではおこることですよね。
そして実はこういう感覚は、経営でもよく起こります。
- 会議で「準備不足」が露呈する
- プレゼンで「もう少し調べておけばよかった」と後悔する
- 資金繰りで「想定外の支出」に焦る
いずれも、“誰のせいでもない”ことがほとんどです。
責任はどこかにあるのではなく、「準備できなかった自分自身」にある。
この“がっかり感”をどう受け止めるか。
僕は、これこそが「自走する経営者」かどうかを分けるポイントだと感じています。
「準備の文化」は習慣からつくられる
エコバッグを持つ習慣は、最初は面倒だったのですが、あるときから“毎日のルーティン”になりました。
- バッグの中に入れっぱなしにしておく
- 家を出るときに必ずチェックする
- 「持っているのが当たり前」になる
このように、小さな準備を“仕組み化”することで、人は「忘れない」ようになります。
経営もまったく同じです。
- 会議は事前にアジェンダを送る
- 売上目標は月初に可視化する
- 不測の事態に備えてバッファを設けておく
こうしたことを仕組みとして回す文化がある会社は、やはり強い。
逆に、「準備は個人の努力に任せる」組織では、いつか必ずどこかでほころびが出ます。
「しくじり」を責めない文化が、備える組織をつくる
ただし、「準備が足りない=ダメな人」となると、現場には萎縮が生まれます。
エコバッグを忘れた日、僕は「自分にがっかり」はしたけれど、誰にも怒られませんでした。
この“ゆるさ”があるからこそ、次からの自分に「じゃあ、どうしようか」と問い直せる余白ができるのです。
経営者も、メンバーも、同じです。
- うっかり忘れた
- 準備が不十分だった
- でも、それを責められなかった
こういうとき、人は「次はしっかりしよう」と自発的に思えるものです。
【問いかけ】
「備えないと怖い」ではなく、「備えると心地いい」組織になっていますか?
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