第3回|なにもないのに満たされる時間 → 「尖っていない価値の強さ」(日常発見の窓口から) | ソング中小企業診断士事務所

第3回|なにもないのに満たされる時間 → 「尖っていない価値の強さ」(日常発見の窓口から)

第3回|なにもないのに満たされる時間 → 「尖っていない価値の強さ」(日常発見の窓口から)

中小企業診断士としての日常のひとコマから、経営やサービス提供にひそむ“感情”や“気づき”をひもとくこのシリーズ。今回は、何気なく入った一軒の喫茶店で感じた「なにもないのに、満たされる」感覚を出発点に、“尖っていない価値”や“余白がもたらす安心感”について考えます。飽和した情報社会のなかで、あなたのサービスが人の心に残る理由とは──。

何もない、でも確かに何かはあるという気づき

ある日、出先で少し時間が空いたので、たまたま入った喫茶店がありました。
特別な理由があったわけではなく、そこにあったから、というだけです。

外観はごく普通。どこか昭和の名残を感じる、小ぢんまりとした個人店。
いまどき珍しいなと思いながら扉を開けると、中も実に「普通」でした。
派手な装飾はないし、メニューもシンプル。BGMもかかっていない。
もちろんSNS映えの気配もなく、いわゆる「何もない」空間。

ところが、です。
僕はその店を出るころには、なんとも言えない心地よさに包まれていました。
「また来たいな」と素直に思っていたのです。

「何もない」ことの強さ

最初に出てきたのは、水と、おしぼりと、にこやかな店主の「いらっしゃいませ」。
僕が頼んだのはホットコーヒー。注文してから出てくるまでの間、店主はカウンターの奥で丁寧にドリップしてくれていました。

その手際が、妙に丁寧で、でも慣れた様子で、なぜか見入ってしまったのを覚えています。
話しかけてくるわけでもなく、かといって無関心でもなく。
「静かな対話」がそこにはあった気がします。

出てきたコーヒーは、驚くほど美味しいというわけではないけれど、なんとも落ち着く味でした。
一口目で「あ、これでいいな」と思えた。
最近、そう思えるコーヒーって、意外と少ない気がします。

マーケティングの逆を行く価値

この体験を振り返って、ひとつ思ったことがあります。

この店には「売り」がなかった。
にもかかわらず、「満足」は確かに存在していたということです。

僕たちはビジネスをするうえで、どうしても「ウリ」を作ろうとします。
差別化。強み。キャッチコピー。ターゲット設定。
それらはもちろん大事だし、僕も仕事では当たり前のように使う言葉です。

でも、ときどき、それが“表層だけの差別化”になってしまっていないか、疑問に思うことがあります。

あの店には派手な演出はなかった。
SNSに投稿したくなる装飾もなかったし、感動的なエピソードもない。
けれど、あの「なにもない」空間の中に、確かにあった“心の余白”のようなものが、
僕の感情をそっと満たしてくれました。

サービスとは「関係性」なのかもしれない

あの喫茶店で、店主との会話は一言もなかった。
でも、心地よい時間が流れ、丁寧な手仕事があり、それが“僕に向けられていた”と感じられた。
そこには一方的な「提供」ではなく、静かな「関係性」があったと思います。

僕自身、音楽制作でも、経営支援でも、常に「関係性」のなかで仕事をしています。
形式的な提案や、テンプレート的な支援ではなく、
相手の状況や背景に合わせて、丁寧に作っていく。
ときには迷いながら、話しながら、少しずつ形を整えていく。

それって、あの喫茶店のコーヒーと似ているかもしれない。
「決め打ち」じゃない。
でも、心が動く。

「尖らない」ことの意味

強く押し出すことばかりが、ビジネスじゃない。
“あえて尖らない”ことが、人の心に残ることもある。
それは今の時代、「情報疲れ」に陥っている人々にとって、
ひとつの癒しになるのかもしれません。

僕たちがサービスや商品を届けるとき、
「どんな価値を加えるか」ではなく、
「なにを削ぎ落とすか」を考える余地もある。

あの「なにもない喫茶店」は、まさにそんな問いをくれました。

今日の問いかけ

あなたの商品やサービスに、「なにもない美しさ」はあるでしょうか?
必要以上に飾っていない、でも、確かに伝わる“あなたらしさ”──
そんな余白が、あるかどうか。

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